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はじめに(ブログの趣旨)
はじめまして、株式会社INDUSTRIAL-X(以下IX)というベンチャー企業で常勤監査役をしている、水谷彰と申します。公認会計士として大手監査法人に10年勤務後に退職し、その後紆余曲折を経てIXに常勤監査役としてジョインしました。37歳です。
IXは、日本の産業構造を変革して明るい社会を作るために、日本企業のDXプラットフォームを構築しようとしています。IXのことを詳しく語ると長くなるので、会社のことはまた別の機会にお話しします。
世間一般では、監査役というと50歳以上のビジネスマンが就任するイメージが強いと思います。安定して給料も高い大手監査法人を退職して、なぜ37歳という年齢で監査役になったのか、不思議に思う方も多いのではないでしょうか?
私自身、まさかこの年で監査役という役職に就くとは思ってもみませんでした。「そもそも監査役って一体何をする仕事なん?」ていう感想が殆どだと思います。私自身もそうでした(笑)。
ベンチャーで、37歳で、監査役というのは、なかなか珍しいポジションだと思います。なぜこのような境遇になったのか、ベンチャー企業という特殊な環境で日々何を思い、どう行動しているのか、文字にすることで、読者の皆様に何らかの洞察を与えることができればと思い、ブログを書き始めました。
今後は、業務上で得た会計・監査に関する知見やノウハウ、日々の経験から得た考察の共有、ベンチャー企業で働く上での思考法・行動習慣・ライフハックなどをお伝えできればと考えています。(頑張って週1回程度の投稿を目指します…!)
手始めに、ブログ第1回と第2回は、私個人の自己紹介として37歳でベンチャー監査役となった経緯をお話させてください。
幼少期~社会人まで
私は1986年に大阪府で薬剤師の夫婦の下、3人兄弟(全員男)の末っ子として生まれました。幼稚園~小学校の時はファミコン、スーパーファミコンが全盛で、兄弟は皆ドラクエやらFFやらをやっていました。当時はセーブデータが3つまでしか作れず、1番上のデータを長男が、2番目のデータを次男が、3番目のデータを父親が使っていました。そういうわけで私は一切ゲームを触らせてもらえませんでした。そこで私の1人遊びの毎日が始まり、毎日1人で部屋に籠っては脳内で自分で考えたゲームを作って遊ぶ、という超絶陰キャ生活を続けていました。この頃から頭の中に常に独り言が浮かぶようになりました。注意力散漫な一方で何か1つのことに過度に熱中してしまう、人から名前を呼ばれても全く気付かない、そんな少年でした。
余談が長くなりましたが、そんなこんなで昔から私は普通の人が当たり前にできることが全然できない、ド天然のポンコツでした。ただ、何故か勉強だけは人よりもできたので、京都大学に入学することができ、その後大学院在学中に公認会計士の資格を取得して大手監査法人に入社しました。
監査法人時代
監査法人に入所して5年、会計監査に従事し、米国会計基準を適用する売上1兆円規模の会社の会計監査を担当しました。初めての仕事で悪戦苦闘・七転八倒の毎日でしたが、なんとか少しずつ会計監査に慣れていきました。
しかしながら、会計監査を続けていて、どうも仕事にしっくりこない自分がいました。理由は以下4点です。
①会計監査という業務の特性上、頑張れば頑張るほどクライアントからは疎まれて、感謝されることが少なかった。 ②「御社の業務にはココに問題があります!」などと偉そうに言っても、あくまでも監査の視点であり実はビジネスの事をほとんどわかっていなかった。 ③日本経済の健全な発展に貢献するというハイレベルな存在意義は理解していたが、それが自分の日常業務で実感できなかった。 ④グローバル基準の監査品質の向上という名目の下、毎年複雑なマニュアル改訂や膨大な文書化を要求される。しかしそれが本当にクライアントの深い理解や効果的且つ効率的な虚偽表示の発見につながっているのか、疑問だった。 (これらはあくまで私個人が抱いた所感です。もちろん、監査法人でやりがいをもって働いておられる方も沢山おられると思います。一般論ではなく一個人として合わなかっただけ、という点は補足致します。)
そんな風に日々の業務にやりがいを感じず悶々としていた日のこと、とある先輩から「君は監査よりもアドバイザリーの方が向いているんじゃないか」と助言を頂きました。それを聞いて、まさにその通りだと感じ、6年目に監査部門から会計アドバイザリー部門に異動願いを出しました。
アドバイザリー部門の業務は私にとって、とても面白いものでした。優秀な上司にも恵まれて、コンサルタントに必要なロジカルシンキングや仮説思考、論点思考などの問題解決の手法を叩きこまれました。このアドバイザリー部門での経験は、今も、これからの人生においても、非常に価値のある財産だったと思います。
アドバイザリー部門の仕事は監査時代にはない充実したものでした。しかし1つだけ、監査時代と変わらない違和感が残りました。
それは上でも書いていた、 ②「御社の業務にはココに問題があります!」などと偉そうに言っても、実はビジネスの事をほとんどわかっていない。 という点です。
実際にビジネスをやったことがない、事業会社で働いたことのない私にとって、コンサル業務では間違ったことを言ってはいないと思いつつも、何か机上の空論のような、リアルではない助言をしているように感じたのです。 このころから、「一度自分でも事業やビジネスをしたい」という想いが強くなってきました。
友人との起業
監査法人でアドバイザリー業務に携わる日々を過ごしていたある日、偶然、高校・大学時代の友人と再会することになりました。経緯は本筋と関係ないため省略しますが、本当に偶然の再会でした。
2人で楽しく昔話をしながら酒を飲んでいると、突然彼が「今、こんなことを考えているんだけど聞いてくれないか?」と話し始めました。
彼が話した内容は、企画している新しい教育ビジネスに関するものでした。そのビジネスプランは、勉強が苦手な子に勉強のコツを教える内容でした。具体的には、文章を頭で丸暗記しようとする勉強の苦手な子に対して、マインドマップを使って構造的に概念を整理する方法を教えます。そして、学習した内容をマインドマップにまとめさせて、それを元に生徒側から内容を説明してもらう、という反転学習を行う教育方法でした。
既に仲間2人と始めて、土日を使って3人ぐらいに教えているという話を聞いて、とても面白そうだと感じたので、私も週末起業に参加させてもらうことになりました。
最初の軽い壁打ち程度の参加から、徐々に深く関わるようになり、仲間と毎晩どうやって集客しようか、どのように講座をブラッシュアップしようか、と議論を重ねました。
これは本当にエキサイティングな体験でした。副業で収益も微々たるものでしたが、お客さんから「本当にこの講座を受けてよかった」「人生が変わった」といった声をきくと、本気で嬉しかったです。
初めて自分の仕事に夢中になる経験をし、「一度本気でこのビジネスで起業を目指したい」という気持ちが沸々と湧き起りました。
監査法人の退職
ビジネスに勢いを感じた私は、監査法人を退職し、友人と共同経営でスタートアップを目指す決断をしました。当然身内などからは「やめておけ」という声もありました。「共同経営の9割は失敗するよ」というアドバイスも何人かから受けました。しかし、気持ちは変わらず、2022年の6月末をもって監査法人を退職しました。
この時は、不安も勿論すごくありましたが、それよりも未来に対する希望で満ちていました。この時は、まさか半年後に私がチームを抜けることになるとは思ってもいませんでした… (後編につづく)